何をしてもうまくいかず、気持ちがふさぐ日。
そのような日こそ、ただシンプルに、
最善をつくしてすごすこと。
<私>は自分の中に自己を見つけることはできない。見つけようとしても苦悩があるだけだ。
他人にうつる自分を見つけて心の安穏を手に入れる、そういう寄生によってしか<私>を保持できないのかもしれない。
ただこの<私>は条件付きで存在している。他人にうつる自分は常に変化しなければいけない。
本来の<無あるいは空隙>である自己とのギャップが<私>を再び苦しめることになるからだ。
<私>は自己である<無あるいは空隙>と出会うことはできない。
しかしながら、<私>が存在するのは、それ<私>が完全な存在論的アイデンティティに到達することを防ぐ「のどにつかえた骨」がある限りにおいて、である。
−『脆弱なる絶対』スラヴォイ・ジジェク著 p44参照
僕は案外、平凡な人間で、65年に日本で生まれて80年代、90年代に人格形成した人間として「そういうところで、その時代に育ったらこうなるよな」という人間だと自分で思っていて、「こうなった」というのをあまり無理せず、正直に作品で示せば、それなりに僕の仕事、役目、使命かなと思っているんです。
自分が何者であるかだなんて他人は興味ない
つくった人間が
そのつくったものについて一番ただしく理解しているとも思ってません。つくった
当人だからこそ分からない盲点があると思ってます(というより、これは偶然
みつけた二つの映像と音を組み合わせたら勝手にできてきたもので、自分
たちがつくったとすら思ってません)。
—イルコモンズのふた。 : ▼いつか、偏見の、彼方に (via retlet) (via tsupo)
2008-05-07 (via gkojay, hysysk) (via thinkupstudio)
リアリティってのはその小説を読んでる間、その映画を見てる間にその世界に没頭できるって意味だけど、本当のリアリティは、本を読んでない日常の時間に、読んだ本の内容が思い出されたり、逆に本を読んでいる最中にそうしてないときの出来事が思い出されたりとか、そういう瞬間に感じるものだと俺は思う。
—舞城王太郎 “スクールアタック・シンドローム”
スヌーピーのある漫画に以下のような言葉があります。
ルーシーという女の子がスヌーピーにたいして以下のような問いをします。
「SOMETIMES I WONDER HOW YOU CAN STAND BEING JUST A DOG..」(時々,あなたはどうして犬なんかでいられるのかと思うわ…)
それに対してスヌーピーは以下のように考えます。
「YOU PLAY WITH THE CARDS YOU’RE DEALT」 (配られたカードで勝負するっきゃないのさ)
「WHATEVER THAT MEANS」(それがどういう意味であれ)
小説を書くための時間、これは1日あたり3時間~4時間も割ければ上等です。なぜなら、書いているとき、つまりはパソコンに向かって打鍵しているときというのは基本的にアウトプットの状態であり、真に創造的な時間ではないからです。強いて付け加えるなら、このアウトプットの作業は午前中に行うのが効率的だということくらいでしょうか。創作活動は夜中に行うべきだとする説が強いですが、どうでしょう、大抵のことは面白くなる夜中のテンションでの執筆は、筆が滑りそうなので個人的には怖いです。また、1日の最後に作業を残して置くのも精神的によくありません。それよりも、やるべきことは早めに済ませて、すっきりした気分で1日に臨むほうがよいように思われます。まあ夏休みの宿題みたいなものですね。
そして、午前中の作業を終え、すっきりした気分で、1日の残り時間を小説のことを考えるための時間に当てれば完璧です。考えることは何をしながらでもできますから、理想的には午前中の作業中も、睡眠時間も、このために当てたいところです。まあ現実問題、人間には生活というものがありますから、そうそう24時間は割けないでしょうけれども、しかし残りの、小説のことを考えない時間は、考えたことを熟成させるための時間であると心得てください。
自分の命がなくなるということは、
自分の命を他の人の命の中に
残していくことである。
自分に与えられた命を、
より大きな命の中に
溶け込ませるために生きていくことこそ
私たちが生きる究極の目的であり、
永遠の命につながることだと思う。
真の自己とは、自身の外にあるものです──やたらに自分のなかにもぐりこんで聞き耳をたてるのではなくて、世界が自分にさしだしてくるものに気づくこと
—ミヒャエル・エンデ
完全な表現はありえない。 8割でよしとすることにしよう。 このように考えないと、いつまでたっても完成しない。 実際のところ、あなたは生きている。 生きているということは考え方・技法・知識・経験がどんどん変化している ということだ。 しかしながら書かれた文章は変化しない。 ということは、 ここが気に食わない、あそこを修正したい、 という作業を永遠に続けることになってしまうではないか。
もちろん、その時点での最善は尽くそう。 よりよい表現を心がけよう。 でも、ある程度のところで、次に進もう。 99%の完成度に10年かかるより、 80%の完成度に半年の方がよい場合がはるかに多いものだから。
「情報で成功してる人は本を読んでますよ。ネットはおやつ、主食は本。ダメな奴ほど、それが逆転していくんです。おやつで栄養価が取れるはずないのに、ビタミン剤(手軽な情報)を欲しがるんです。本の内容をうまくまとめたまとめサイトが欲しいってことに慣れてしまうと咀嚼力が下がって、結局同じ情報を見ても分からないんです。これがネット中毒になっている人の特徴で、全く同じ情報を得ていても、読みが恐ろしいほど浅い」